これは、どういうことですか?

私にとって、変人という扱いは、ほぼ褒め言葉に近いくらい言われ続けてきました。
どの職場に行っても、なんか変わった人…。なかなか友人は出来ません。でも、いちどうちとけると、馴れ馴れしいといわれるくらいぐいぐい入り込みます。
最初に入った会社が一番長く勤められたかな?部署移動はあったけど、2番目に移った部署が一番居心地が良くて、上の人とも仲良くさせてもらったなぁ…。でも最後に移った部署が私には合わなくて、結局あと少しで10年というところで、やめることになってしまったんですよね。
でもさ、次の部署を見つけるのは、会社の仕事であって私の仕事じゃないわけよ。で、私もごねました。なんで、次の仕事場見つけるのは会社の仕事でしょ?なんで、自己都合で辞めさせられなきゃいけないわけ?
マジで…これはどういうことですか?
解雇にすれば、多分、会社が損をするからそこを何とか納めてくれと言いたかったんでしょうね。私も社会人になりたてで何も分からないから言いなりになるしかなくて、それを父親に言ったら、俺が行ってやるからとかいいだして。行ってくれるのはいいんだけど、私が危惧したのは、会社の人と父親が殴りあいの喧嘩をするんじゃないかと思ったこと。だって、私の父親、(暴)の親分みたいに人相が悪いし、福島に近い田舎の出だから口が相当悪い…。だから、致し方なく穏便に処理することになったんですけどね。
まあ、あまりいい人にならないほうが、世渡りをする上ではちょうどいいのかもしれません。
今回は病気で退職だけど、また世間知らずが仇となって、苦心させられています。ADHD, ASD, 病的なほどのHSP、それに加えて、適応障害からのうつ。なんとか、二次障害だけでも週20時間働けるくらいに回復しないとな…。明日は受診日なので、困っている事を正直に主治医に話してスッキリしようと思います。道のりは遠い。私が鬱で苦しむって…これは、どういうことですか?先生~!

いのち、をかんがえる

自分自身がこのうつ病という、厄介な心の病にかかって、もう2年。ADHDの診断が下って1年半過ぎ、ASDの気質とHSP気質のため、いまでも社交不安、肉体的・精神的疲労を感じ、不眠は慢性化して、体調も胸苦しさを覚える日々が続く。また、実生活でも、一度にたくさんの事を頼まれると、パニック発作を引き起こすため、主治医との話し合いで、結局、復職より、2020年10月31日を以て休職期間満了退職とするのが良いだろうとなった。
うつ病の症状は日によって変わる。そこそこ動ける日もあれば、全く動けず、ほぼ一日中(薬の服用時以外)床に伏す日もある。
そのため、転職活動にドクターストップがかかっている状態になっている。精神障害者福祉手帳も申請中であるが、まだ手元にはない。現在は、障害年金の申請中だが、病歴を書くのが大変なのだ…。
転職活動にドクターストップがかかっている間は、無収入の状態である。本来なら300日でるはずだよ、なんて周りには言われるが、職安に離職票を持っていったときに、医師の意見書書いて持ってきてといった職員と、意見書をもって再度職安に行ったときに離職票延長手続きをした職員には、そんなこと一言も言われなかった。だから、その間って無収入になりますよね…って聞いたら頷いて、役所本庁で生活保護の手続きするようになりますね…だとよ。
だから、行ってやったよ、本庁に。とりあえずは障害福祉課に行ってそういう、障害者にかんする一時的な措置はないか職員の人に聞いてみたのだが…「そうなると、もう生活保護になっちゃうのでね~」。またですか…。最後のセイフティネットを使わにゃならんのか…。とまあ、意気消沈して、世界的建築家が設計した、美しい庁舎の天井を見上げたら、悲しくなってきたんだよ…で、考えたんだよ、「私は何のためにこの世に生まれてきたんだ」と。「こんな惨めな思いして、きれいな建物を感動でなく悲しみのなかで見つめるためじゃないよな」。…この世に生を受けるって、奇跡的なことだし、神秘的なことでもあるし…。だから、みんなが平等に幸せを享受出来なくてはいけないはずなのだよ。
精神障害者ってレッテル張られただけで、ヘルプマークやヘルプカード持ってるだけで、奇異な目で見られる…。
どんないのちでも、重さは同じはず。それをわかった振りをする人がどれだけ多いか。特に健常者と呼ばれる人種…。私にはそう思える。
健常者達の見る世界はきっと我々とは違って見えるだろうよ。思うに、健常者達のみえる世界は、まるで墨絵のごとし。人間の個性や色は、仕事や社会というフィルタで消されてしまう。
しかし、我々の見る世界は、その人達が思うよりずっと色とりどりの世界だよ。個性に溢れて、自分の色を出しまくっている。
もし、嘘だと思うならば、一度この病気に掛かってみるといい。なんせ「心の風邪」って言う具合なんだから。

本日も不調なり

珍しく5:40に起きて、8:00までには、洗濯、食事、ゴミ出し終わったのだけど、病院いった次の日ってなぜか物凄く不調。頭痛薬も飲んだのに、なかなか楽にならない。

10:00過ぎには本格的に雨が降りだして、より体のだるさを感じる。

眠気が激しいので、一旦寝ることにする。寝ると楽になるって言うし。

しかし、こんなんじゃ…先生から、生活リズム整えようなんて言われても、まだムリだな…ひとまず、おやすみなさい、なのだ。

月曜日は診察の日

今通っている心療内科へは、私の主治医は、月曜日にしか来てくれません。
6月までは、月曜日と金曜日に来てくれてたんで、週末しんどい時は、金曜日に駆け込み受診をしてたんですが、それができなくなってしまいました。

休職中に、誰も心配してはくれないし、あいつなら何があっても死なないだろうと思われているのか、面談さえもなくなりました。そのため、人と接することがほとんどなくなってしまって、半ば引きこもり状態です。

月曜日の診察で病院にいくとき以外はほとんど外出しません。人と会うと、怖いから。

先生とかごく親しい友人とは信頼しているから、話すことができます。先生は「僕と話ができるなら大丈夫」っていうんだけど…でも、初対面の他人と話すのは躊躇しますよ。何を話したら良いか分からんし、その人のパーソナルスペースにどこまで入って良いか…。間の取り方とかどうすりゃいいのよって。

1年以上社会と隔絶された今となっては、事務所のような騒がしい場所で見ず知らずの人と協力して仕事をするのは、難しい気がして、心理的にも肉体的にも苦痛に思えます。

先週、会社の方から、進退伺いに近いメールをもらったことを先生に伝えました。
そしたら、午前中がんばって、病院に来てもらって、先生が会社と電話にて話をしてくれることになりました。
私ひとりではこじれてしまいそうで。

やっぱり誰かの助けがないと生きていくのは大変だなと思ったのと同時に、先生の優しさに改めて感謝するのでした。

444連休目でした

2020/7/26、会社を休んでから、444日目でした。

この間、私は、いったい何してきたんかな?ってすごい考えちゃいますね。

休みたてのころは罪悪感に苛まれて、仕事のことで頭いっぱいで…布団から出られず泣いてばっかり。

そして2019年6月頃にADHDといわれました。

最初の頃は、愚痴を会社の人に投げても、ちゃんとリプライ返ってきてたんですけどね。
そっとしておくのが良いとか良いとか言われたから連絡は私からって、超面倒くさっ‼️

それでも誰かと繋がりがほしいから、しばらく眠らせといたTwitterを再開してみたわけです。
そしたらいろんな人と悩みが共有できて、何となく安心感があって。居場所みつけたってかんじでしたよ。

まあ、いろんなことがありましたわね~。

細々とした話はまた…後程。

変人と呼ばれて何年だ?

生まれてこの方、自分は、物心ついたときから、ずっと「変なやつ」、「普通じゃない」、「おかしな人」と呼ばれてきた。通算すると、「変人歴」42年というべきか?

なぜ、自分が「変人」と呼ばれてきたのか、自らの歴史を母親から聞いたり、自分の持っている記憶をたどったりしながら、考えてみた。

1.学童期
小さい頃から、変人、問題児扱い。母親が何度先生に呼び出されたか…。

2.中高生
中学生の頃も、授業中に追い掛けっこしたりで放課後居残り説教&先生から殴られたり…。
高校時代は、同じクラスの人と話さず職員室で先生と話してばかり…結局友人はほとんど作らなかったです。(作れなかったというより作りたくなかったというのが本音。)

3.学生時代
その後短大に進んで、自主的にDNAの勉強してました。本当は、英語科だったのにね…。そのときに先輩につけられたあだ名が今のハンドルネームの由来(これは前記事にも書いたね)。短大時代は、本当に好きなことさせてもらったな…。研究成果を、広報誌に発表させてもらったり。成果は↓から。
https://1drv.ms/b/s!AghcuHwdxTS5gThoiH2iXm8pdYJN

本当は京都の大学に編入したかったんだけど、親の費用関係で、付属の大学に異文化コミュニケーションを勉強するために編入。卒論は遅れて提出して怒られる始末…。本来なら編入してすぐ就活しなきゃいけないのだけど、先生になりたいから、先生になるための試験ばかり受けてた。結局全部ダメで、卒業しても就職できず、半年位塾のアルバイトして、そのあと、大学院の研究生として、DNA情報解析をしている研究室に潜り込むことに成功。その後何とか修士課程を3年で修了。

4.社会人
そのあと社会人になったは良いけど、どうしても仕事が続かない…

ADHDだって分かったのが去年の今頃で。
それまでは、「一生懸命やってても結果が着いてこなかったのは何故なんだろう?やっぱり私は怠け者なのかしら?」って思ってた。仕事中うっかり寝ちゃったり、ミス連発したり、期限守れなかったり…。
結局そのせいで2次障害して、復活できないまま今に至ってます。
さらに簡易HSPテストでは感受性が強すぎると言われたり。
ASD(アスペルガー)の自己チェックでは50問中39問が当てはまるというなんだか不可思議な状況になってます。

その間中、変人、つかみどころのない人とは言われても、大丈夫、自分は自分だと頑張りすぎてたのかな?って反省しているところ。

次はどうするか…ちょっとずつ考えていく必要がありそうで
す。

じこしょうかい

はじめまして。

DeoxyriboCoといいます。
私のこのハンドルネームは、学生のときに仲良くしていた先輩がつけてくれたあだ名に由来します。

約26年前、私は、文科系の大学にいたにも関わらず、個人的な興味だけでDNAや分子、元素、原子についての勉強をしていました。

午前中は学校の図書館でDNAやそれらを構成する、物質についてまとめ、午後に講義を受けるという、クレイジーな時間割りを組んでいました。ただただ、DNAのことについて知りたい、勉強したい、生命の神秘に触れたい…そんな純粋な欲求から、誰も組まないような時間割(午後だけ講義)を組むほどにDNAの自主的研究に邁進しました。

卒業後は、塾で教えつつ、DNA情報解析の准教授の研究室に研究生として潜り込むことに成功。
研究生として勉強したあとは、マスターコースに進むことになったのですが、理科系転向が遅くて、3年掛かってようやく修了。その後、職が決まらずどうしたものかと悩んでいたのでした。

ようやく仕事が決まったのは、2000年の8月。そこからまた苦難の日々が続くのですが…。それは追々。

で、現在は、精神疾患で1年以上現職を休業⇒休職中。そんな中、なにもすることがなく、久しぶりにTwitterを再開してみたら、同じような悩みを抱える人たちがたくさんいることがわかり、友人もできました。

現職は進退極まる状況ですが、自分自身の歴史やら、職歴やら小出しにしていく予定でいますので、よろしくお願いいたします。